あじゃらで遊ぶ 代表 古川 雄一郎さん

 

 【アイディア次第で楽しさに変わる】

 

―――イベント「前平アタック」は2015年に初開催され、今年(2021年)は7度目となる。昨年はコロナウイルス感染拡大の影響でやむなく中止となったが、今年は万全の感染対策を施して2年越しの開催へ向けての準備に取り掛かっている。

 

・まず、あじゃらで遊ぶの立ち上げに関してですが、古川さんのある一言が発端だと聞いたが…

 

古川(以下:古) もともと「阿闍羅山をどうにか活用できないものか」と考えながら山歩きをしていた。かつて使われていたスキー場エリア(※注1)を見回してみたら、整備もしてないし、草刈りもしていない、たまに会うのは山菜取りの人たち。

少しでも草を刈って道の存在をわかってもらえれば、人が来てくれるのではないかと考え、「使っていないスキー場をどうにか活用できないか」と何気なく仲間うちに話したら、当時(2014年)はちょうど全国的にトレイルランニングのブームがきており、スキー場の利活用を含めて「大鰐でもランニングイベントができるのではないか?」というアイディアがうまれた。アイディアを基にまずは自分たちで阿闍羅山のどの部分が活用できそうか調査してみることから始めた。ただ、スキー場のコースは使っていない期間も長かったので、イベントを開催するためには現在営業しているスキー場エリア(※注2)も含めて活用できたらと考え、前平コースなら使えるのではないかと閃いた。

 

・なぜ前平コースが使えると思えたのか?

 

古:前平コースは高校のスキー部などがトレーニングコースとして利用していたので、走れる状態で整備されていた。もしここを使わせてもらえるなら(イベント使用が)いけるのではないかと考えた。スキー場を上ってゴールした後、帰りは当然下山することになる。阿闍羅山全体を使うという大きな視点から発想したとき、山を登らせて終わりではなく下りの道路も整備しなきゃいけないよねと。そこからまた下調べをして、登りと下りのルートを自分たちで少しずつ草の刈払いをしながらコース整備しようという流れになった。

 

―――前平アタックのコースは、スタートの雨池スキーセンター前からゴールの前平ヒュッテまで全長1マイル(1.6㎞)。距離としては決して長くはないが「この坂を果たして己の脚で登りきれるのか」と後悔の念が一瞬過ぎる。一番の難所はゴール前に立ちはだかるゲレンデの斜面。そこは国際エリアと呼ばれ、いくつかある滑走バーン(斜面)の一つ「前平バーン」に設置されたリフト下を直登する。最大斜度34.37%にも及ぶ斜面はゆっくりと登るだけでも息が切れ、急勾配に二足で立ち上がるのは困難となる。

 

 前平バーンの中腹までくると一足踏み出すごとに脚に疲労が蓄積されていくのがわかり、文字どおり「膝が笑う」。笑った膝を両手で押しつけ反動をつけて足を前に出すが、それでも足が前に出ない。たかが数メートルの坂を足だけではなく手も使って地面を掴み四つん這いでよじ登る。大会はタイムレース形式で行われ、選手たちは思うように前に進めない苦しさと時間との闘いとなる。その選手たちの様子を笑顔で見守りながら「頑張れ、ゴールまであと少し」と声をかけるスタッフたち。参加した選手もここを登り切らないと帰れないという、ある意味覚悟を決めた≪笑い≫を浮かべ、ゴールを目指して駆け上がる。ゴール地点には淹れたてのコーヒーが用意されており、全体力で登り切った後の美味しい一杯と阿闍羅山を吹き抜ける涼やかな風が身体に心地よく、この坂を制覇したぞという達成感を味わえる。前平ヒュッテの眼下に広がるのは大鰐町の町並みと幾重の山並み。紅葉の季節には朱や黄色に染まる美しい景色も一面に見渡せる。

 

・スキー場を下から上に駆け上がるという発想はなかなか真似できないものです。一体そのような発想はどこから湧いてくるのか。

 

古:他の方からも「よくアイディアを思いつくよね」と言われるけれど、自分でも意識しているでもなく思いつくもので…ただ「面白くしたいな、面白くさせたいな」とは思うから、それが個性的なアイディアに繋がるのかな。決して何か新しいものを用意するとかではなく、今あるものをどう利活用したら面白くなるかな、というのが基本的なものとしてあるかもしれない。既存のものを使いかたひとつ、目線ひとつ変えただけで「こういう使い方ができるんじゃないか。こういう楽しみかたができるかもしれない」と捉えることができるし、そういう発想がどこか頭の片隅に常にあるのかな、と自分では思っている。前平アタックも(スキー場を)下って滑るものを登ればいいんじゃない?というのも逆の発想だし。冗談半分で「スキー場は下るところです」と言われたりもしますが(笑)それを逆手にとって楽しめるイベントに置き換えたら記憶に残ると思うし。前平アタックのようなバーチカルスタイルは青森県内では他にないということもあり、毎回参加してくださるリピーターの方も増え、今年で7回目を迎える事が出来とてもうれしいですね。

 

 アイディアを具現化していくには予想していなかったハードルもあり、自分ひとりでは到底出来ないこと。活動に賛同してくださる方や町役場の理解もあって実現出来るのは感じているし、その協力がないと進んでいかないと思っている。小さい町だからこそいろんな方と距離を詰めて話合っていけるもの利点だと思う。

 

 【町のなかへ人が波及してほしい】

 

古:前平アタックは、これをきっかけに大鰐に来てくれる人を増やしたいという大前提でやっています。イベントの帰りに町の食堂でご飯を食べる、温泉に入って疲れを癒すなど、もともと町にあったものに結び付けるという事がそもそもの狙いであり願いでした。

イベント会場に飲食のテナントを呼べば参加者の行動はそこで完結してしまう。せっかく大鰐に来てくれたのにイベント終わったら町なかへは寄らずに帰ってしまう。

 あじゃらで遊ぶが考えているものはそうじゃなくて、町に入って町の良さを知ってもらうことこそが目指している目的であり目標だから、せっかく来たから足湯に入って帰ろうよ、アイス一つでもいいから食べて帰ろうよとか、そんなことでもいいので町のなかへお客さんが入ってくれるような『階段の一段目』の存在でありたいと考えている。

 

・それに至る思いというのは、どこからきているのか。ご自身が小学生・中学生の頃に見てきた大鰐町の様子と現在が明らかに違うからとか?

 

古:全然違いますね。自分の小さい頃の思い出も含めてだけど、やはり温泉街だったから旅館の名前の入った浴衣を着て通りを歩いている人の姿を見てきたし、華やいでいたし。バブルを満喫していたかつての輝かしい大鰐の街並みとは全く違う。自分も進学で県外に出て帰ってきた身だから尚更感じるものもある。若い頃はある程度「自分の町って(残念だけど)廃れていったんだな」と理解はしてきたつもりだった。それが5年、10年経て実際大鰐に戻って住むようになったときに町の現状に対して「このままでいいのかな」と疑問を持ち始めて。それを考えるのは行政の役目ではあるのだけれど、何か自分たちの力でも出来ることはないかを考えたとき、あじゃらで遊ぶでの活動がきっかけとなって出来ることもあるのではと思った。

 

もともと大鰐は来客で栄えた町だと思うから、例えば、観光客を受け入れてきた旅館や民宿などと協力して、スキー場を使ってスポーツイベントを行ったりしたら、イベントの参加者のなかには「せっかくなら町に前泊するよ」という方も出てくるかもしれない。旅館などの昔ながらのスタイルを味わって楽しんでくれる人も増えていくことへの相乗効果が現れたらいいなと思う。

 

【橋渡し的な存在でありたい】

 

古:〈あじゃらで遊ぶ〉が主体ではなくとも次に繋がる橋渡し的な役目も担えたらいいという思いもある。あじゃらで遊ぶは営利目的の団体ではないから、団体としての利益を優先させてしまうと当初の目標に対しての考え方も違ってきてしまう。団体の在り方は千差万別だと思うけれど、自分たちが求めている目標に対して、それに賛同してくれる方がいるのはありがたいと思っています。

本当は協力してくれる人たちに対しても何か還元できるような取り組みがあればいいし、それが今後の課題だとも思っています。やっぱり大鰐に人が来てくれる、山で遊んで楽しかったと思い出を作ってもらう。その楽しい気分で町の食堂でご飯を食べる、温泉に入って帰ってくれるという波及効果を作っていけるような繋がりを持てたらと。

これを一回やって終わりではなく、毎年継続できるような取り組みも大事で「10月に大鰐で前平アタックやっているよね」ともっと認知してもらえるように取り組んでいくことが重要だと感じます。

 

・その取り組みは大鰐を含め他の周辺市町村とも連携して考えているのか。

 

古:もちろんです。弘前や平川など周辺市町村に住んでいる人たちに「大鰐でイベントをやるよ」と声をかけたらわりと来てくれる。車で20~30分くらいで来れてしかもこんな楽しめる場所があるのかという再発見になってくれたらいいとも思っている。大鰐といえば、スキー場と温泉というイメージはもう何十年も前からあるのだから、そこへ「10月になれば前平アタックだよね」とか「4月になったら大鰐で何かおもしろいことやっているよね」というもう一つ上乗せしたイメージが継続して作れたら、長い目でみたときに町に人が来てくれるきっかけになるのかな。

 

 私たち「あじゃらで遊ぶ」単体ですべてを成し遂げる事は出来ないし、そんな風になることは嫌だなと感じる。地域の人たちや役場の人たちへも相談しながら共通理解を持つ事が大事だと思っている。

「大鰐に来ておもしろかった」と言ってもらえるのが最高に幸せだし、そんな風に楽しんでもらえる材料となる人も物も揃っている。そこが大鰐の持っている良い面かな。

古くから温泉宿があって(町外から)お客さんがくるという文化が根付いているからこそ、町の人たちも「ようこそ~」と歓迎する心や受け入れてくれるあたたかさを持っている。それがイベントなどでも自然と出てくる。人が集まることに対して感心があるのでしょう。

 それが大鰐の今までの歴史であるし、自分たちのじいちゃんばあちゃん、それよりも前の世代の人たちから連綿と続いてきた町の色でもある。そういう良さをもっと出していけるよう、できるだけスポーツや文化イベントに限らずこれからも続いていきたいと思っている。大鰐に来て一日中ずっと居て楽しめるという近隣市町村に住む人にとっても遠くにいかなくとも楽しめる場であればいいのかなと。そこを目指して取り組んでいきたいですね。

  

注1)注2):大鰐温泉スキー場 旧あじゃら高原エリアのこと。大鰐スキー場にはエリアは2つがあり、現在は旧あじゃら高原エリアは閉鎖され、国際エリアのみが営業している。

 

 

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